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[実践会あとがき]自分は2人いるというお話。



先日行われた実践会のお話しです!!

分かりやすく?書き直すので、復習にもなりますよ(笑)


実践会の写真を見て「あの写真何〜?何の話をしていたの?」と聞かれることもしばしばありまして、

あれなんですよ、「自分は2人いる」って気づいたんです…


突然なにを言い出すんだって感じだと思いますが、前から何となく分かってたことなんです。しかし、これを説明する言葉がなかったんです…

それに、顕在意識と潜在意識でまとめようとしていたからワケがわからないことになってもいました。

“自覚できること”と“自覚できないこと”という分け方は、個人的にはとっくに古いものだったのです…



●自分とは何か


自分という存在には、名前、性別、職業、経歴、趣味など多くの情報がくっついています。

自分が知っている自分の性格や、他人から思われている自分も情報ですね。

さて、この情報がすべて無くなったら自分ではなくなるのでしょうか?


夢を見たことはありますか?

夢の中で自分を客観的に見ている場合、見ているのは一体誰でしょう?


有名なアニメ映画「君の名は。」

人物の中身だけが入れ替わって、身体も人生もまったく違うものになります。

AさんがBさんの中にいたとして、果たして、Bさんは「Aさん」になるのでしょうか、「Bさん」になるのでしょうか。

Bさんの姿形の情報を見て、周囲の人はBさんだと判断します。

Bさんの中にいるAさんは、いつもと姿形が違うということを認識しているAさんでしかありません。


つまり、外見と中身。これが自分が2人いるということ。


「我思うゆえに我あり」という有名な哲学的な言葉があります。

自分とは一体何者かを語ることは難しいが、その考えている自分は少なくとも自分。

自分だという意識を持っていることが自分であるということです。



●2つの自分の関係


実践会では「環境の中にいる自分」と「環境を見ている自分」という書き方をいきなりしていたのですが、「君の名は。」を思い出していればもう少し楽だったかもしれませんw


・環境の中にいる自分(こうだと思っている自分・存在そのもの・客観的存在・観測される自分)

・環境を見ている自分(こうだと感じている自分・意識そのもの・主観的存在・観測されない自分)

私たちはこの2つを通して「自分」を認知しています。


分かりやすく説明するために、夢や「君の名は。」を例えましたが、環境を見ている側の自分を感じる方法は「感情や感覚」しかありません。

地球という物理環境の中に縛られることで、人間は自分の感情や感覚を無視するようになります。人目を気にしたり、反応や評価を求めたり、嫌われたくないのような感情は全部、環境の中の自分を守るためのものです。


もっと言うのであれば、“環境を見ている自分”が出してる信号は「良い感じがするか」「よくない感じがするか」のどちらかしかありません。

環境にどっぷりの現実主義の人には到底理解しがたいことですが、現実がどうだとか一切無視して「良い感じ」をキャッチして、それをできる限り行動する生き方をしていれば何も問題ありません。必要なものは必要なタイミングで集まってくるし、やりたいことをひたすらにやれる人生になります。


それができるようになっていくにはまず、自分が自分にダメ出しをしないことからスタートです。

次に、心から受け入れられるようになることです。

自分が満たされたときに、本当の意味で人に手を差し伸べられるようになります。

私がしているのは、あらゆるレベルの妨げを取り除いていくこと。妨げをつくらないヒントを伝えること。一言でいうのであれば「できない」を溶かすことです。

いろんな問題溶かしていくと、人って不思議と自由になっちゃうんです。


大変長くなりましたが、これをもっともっとわかりやすく伝えるにはどういう言葉選びをすればいいのだろうと今日もひたすら勉強です(笑)


今後もいろんな角度でエッセンスを届けられたらと思います。


ではでは。

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